卒業式 :...............................「東京サイレントナイト」(6/27発行予定)より






  静雄がトムと出逢ったのは中学の時であった。喧嘩をふっかけてきた上級生の仲間かと思いきや、その頃から飄々とし……そして大人びていたトムは、静雄 を恐れる事も敵対視する事もなく、静雄に興味をもって近づいてきた。
 静雄も最初は不審に思っていたものの、段々とその懐の深さや大人な考え方に影響され、そして、穏やかな生活を彼と送っていくようになった。髪を染め、ま わりに力を誇示したのも彼のアドバイスだった。最初は嫌だったものの、そうすることで手に入った比較的穏やかな生活。それは中学入学以来手に入れられな かったものだ。
 そんなこともあり、静雄は彼のことを数少ない「理解者」だと思っていた。口べたな静雄の話もゆっくりきいてくれるし、静雄が言わなくても意図を汲んでく れたりする。そんな人は滅多に居ない。それまでは弟の幽のように身内以外は皆無であったし、それからの生活でも数えるほどしか……そういう人には出逢えて いない。
 だから、静雄の中で、トムとの中学時代の思い出は、かなり大切な……壊したくない物の一つであった。
 中学の卒業式の事をいまだに覚えている。あれは、よく晴れた三月。あたたかそうな春の光の割にまだ肌寒くて。
 別にさぼってもいいような日程だったが、静雄は卒業式の最後までおり、そしてトムが式から出てくるのを待っていた。しかし、相手は色々な後輩、同級生に 囲まれ、いつもの笑顔でこたえている。まあ、卒業式のメインはそっちだし、と思いながらも、静雄は最後に話せないかと、離れた場所から彼を見守っていた。
(……もう、卒業しちまったら会えねえしなあ……)
 そう思っては胸の奥がちくりと痛んだ。この一年、静雄はトムと関わる時間が多かった。特に後半は……トムが静雄のかわりに目をつけられるという事件が あって以来、よく一緒にいたと思う。そして彼の考えに男気を感じたと言っても過言ではない。
『お前は、暴力が苦手なんじゃなくて、嫌いなんだろ? だったら、やらない方がいい』
 自分のせいで巻き込まれたのに、ボロボロなのに強がってそう言ってくれる人を「ああ、年上の面子ってかっこいいなあ」と思った瞬間だった。それ以来、静 雄はトムの言うことを前以上によくきいたし、考え方にも少なからず影響を受けていると思う。
 最初はタメ口、それから拙い敬語を使うようになって、それをトムはおかしそうに笑っていた。田中先輩からトム先輩に呼び名を変えたら、なんかいいなそ れ、と笑って、脱色した金髪をくしゃくしゃっとしてくれた。そんなことを思い出す。
(……高校いっちまったら、トム先輩も俺とは関わりなくなっちまうし……)
 寂しいな、と思うのは仕方がない。そうか、これが寂しいのか、そう自覚に悶々と悩んでいると、いつの間にか人ごみを抜けたトムが静雄の目の前に居た。
「えっ、あれっ、トム……せんぱ……」
「おー、静雄。なんだあ? ぼうっとして。俺の方見てなかったか」
「あっ、ッス……あの……卒業オメデトウゴザイマス……」
「おう」
 あんがとなーと言い、トムは笑う。いつものように目を細めて、そして静雄の少しだけ上から目線を落とした。
「あの……」
「んー? あーお前、髪の毛の根元黒くなってんべ」
「え? そっすか……?」
「うん。まー頻繁に抜きすぎると頭皮によくねえしなあ。もうちょっと伸びたら、また脱色してやるよ」
「えっ……?」
 トムからの日常に紛れるような提案に静雄は驚いた。その反応にトムは苦笑いをこぼす。卒業したってかわんねえって、と言い、ぽんぽんっと静雄の頭を撫で た。
「髪伸びてきたらさ、ちゃんと連絡しろよ。俺がまた脱色してやろー」
「い、いーんすか?」
「おー。……静雄、寂しそうだし? 俺いねーの不安か?」
「! っ! んなことねえ!」
「ははっ、ジョーダンだよ」
 トムは笑うと、静雄の頭をぐいぐいっと抑え、静雄、ちょっとこっち来いよ、とその場からすたすたと歩いていく。同級生が「トムー、カラオケいつもんと こ!」というのにも答えながら、その団体から遠ざかっていった。静雄はそんな声を背に受けながら、トムの後についていく。
 トムの行き先はなんとなくわかっていた。ここともお別れしねえとな、と静雄と行った先は屋上である。風が強く吹く……空が高い。静雄はおとなしくそこに ついていった。
「わりーな、付き合わせて」
「いえ……」
「なーんか、今日大人しくね? まあ、お前、喧嘩しねえ時はいっつも無口だけどよ」
 屋上のフェンスに身を預け、トムは、うんっと伸びをした。その時、静雄はトムの制服のボタンが全部とれていることに気づく。
「……すごいっすね」
「へ? ああ、モテるのは辛いねえ」
「……」
「ははっ、冷たい反応すんなよ。おもしろがって取ってったんだろ。すごくね? なんかこういうのってなくなんねーのかな。昔っから漫画であって嘘だろって思ってたけどさ」
「そっすね……」
 トムは人当たりもいいし、色んな人と浅く広く付き合うタイプだ。自分とは違う、そう思いながらぼんやりと制服を見ていた。トムはそんな静雄に構わず、も う一度うんっと伸びをすると、静雄、と彼に向かって笑った。
「ありがとな」
「え? 何が……っすか?」
「お前と会えて楽しかったなって思ってさー。俺、結構色々適当にする方だけどよ。お前に……なんつーか懐かれて……っつーんかな……それで、先輩ぶって しっかりできたかなぁ、とかも思ったりしてっから」
「!」
 トムがあっさり言う言葉に、静雄は驚いた。いや、本当に驚いて言葉を失うくらいだった。
 トムは出逢った時からしっかりしていたし、他の喧嘩っぱやいだけのバカな上級生たちとは違った。勉強も見てくれたし、面倒見のいい先輩で……自分はう ざったく思われているんじゃないだろうか? と思うほど慕っていたと思う。
 そんなトムにそういう風に言われ、そこで静雄は目の前の先輩の卒業を実感した。寂しくなりそうだな……と思っていた想像が、すでに「寂しい」という感情 として彼の中に芽生えてきた。息が詰まる。そんな静雄にトムは笑ったまま近づいて、ここ、よくお前と昼飯食ってたからさあ、と言いながら、また静雄の髪を くしゃくしゃと撫でた。
「最後にお前と一緒にいっとこっかなって、さっき思った。まあ、高校いっちまったら、前みてーに毎日は会えねえけど。髪の脱色の役割くらい俺に残しておけ よ?」
「……っす」
「街うろついてりゃ、会うこともあんだろ。あんま喧嘩ばっかすんなよ? 俺が声かけづれーから」
「………はい」
「ん。よし。これでなんか卒業ってかんじだなー」
 あんまりかわんねーんだけどさ、とトムは少しだけ眉を下げて笑うと、眼鏡の奥からの優しい視線で静雄を見つめる。
「静雄、あんまり無茶すんなよー?」
「……え?」
「ははっ……俺が先輩面したかっただけ!」
 寂しいんだよ、そうトムは言うと、静雄に向かって目がなくなるくらいにまでにっこり笑いかけた。
「お前のこと、大事な大事な後輩だって思ってっからさ」
「……!」
 静雄は言われた言葉を噛み締めるように唇を閉じた。なんて言おう。なんだかすごく嬉しい事をもらってばかりな気がする。なんて言えばこの気持ちが伝わる んだろうか、そう思いながらも言葉は出てこない。そんな静雄には構わず、トムは、そうだ、と何かを思いついた表情を見せた。
「静雄、この一年ですげー伸びただろ」
「え?」
「身長。お前が卒業の時には確実に俺は抜かれてんなー」
 俺、そろそろ止るしさ、そう言ったトムは制服の上を脱いで、静雄に渡す。
「これ、やるよ。替えに……なんねーか。ボタンねえもんな」
「あ……」
「んー……ってか、俺が貰って欲しい」
 なんか全部とられちまってさあ、お前にやるもんねえのも格好つかねえっつーか、そうブツブツ言いながら、トムは少しだけ照れた表情を見せる。首を傾げて 笑う、眼鏡の奥の視線はいつもどおり優しかった。
「もらってくんねーか?」
「………っ!」
 少し困った表情のトムに静雄は言葉が出なくて、その制服を受け取った。押し付けたみたいでわりーな、と言うトムに、静雄はぶるぶると首を振る。
「………れしいっす」
「え?」
「……ありがとうござい……ます」 
「おー」
 トムはそう応えた後に、少し驚いた表情を見せ、そしてすぐにふっと笑った。静雄に近づくと、ぽんぽんっと頭を撫でる。
「なんだよ。本当に寂しいんかー?」
「……っ」
 ぽろぽろと知らない間に涙がこぼれているのに、静雄はようやく気付いた。ごしごしとこすっても止らないし、格好悪いという気持ちから顔が赤くなってしま う。
「静雄ー。だいじょぶだって。お前の強さの噂は広まってるし。不安になんねーでもだいじょーぶ」
 お前がやさしーの、ちゃんと俺はわかってるからなーと言い、知らずにさらに静雄の涙腺を緩めたトムは、もう泣くなってーと人の良さのあらわれる苦笑いを こぼした。
「………さびしい……ッス」
「そうだなあ」
「………」
 静雄は黙ったまま、一言だけ、スンマセンとぼそりと告げて、トムの体に抱きついた。まだ少しだけ彼の方が背が高い。肩口に顔を押し付けると、涙が相手の シャツにしみこんだのがわかった。
「静雄ー………ちょっと痛い」
「……スンマセン……」
「ははっ、嘘嘘。一瞬、びっくりしたけど」
 本気でやられたらバキっといくんじゃねえかってな……というのは心の中で止めておいて、トムは静雄の体温を抱きとめる。
「……こーゆーのは、かわいい後輩女子にされて、そのまま……みたいなのを期待してたんだけど」
「……俺でスミマセン……」
「ははっ! ちょ、痛い痛い!」
 茶化すと照れたのか、ぎゅっと静雄の力が強まって、トムはすぐにギブアップした。気付いた静雄がすぐに力を戻したが、本当に痛い。しかし、トムは笑っ て、嘘だって、と静雄に苦笑する。
「うれしーもんだな。寂しがってもらえて」
「……っ」
「静雄」
 ありがとな、そうトムは微笑むと、今度は彼の方から静雄を抱きしめた。
 静雄は、また近づいた体温に目を閉じる。ぽかぽかしていてあたたかい。俺、何泣いてんだ気持ち悪い……と自己嫌悪するものの、もうそんなのはどうでもよ かった。
(……寂しい)
 やばいな、依存してたかな、なんて思うけれど。喧嘩ばかりふっかけられて、ストレスも感情下降も半端なく、そんな中優しくされて……摺り込みにあったよ うなもんかな、なんて理解はできる。しかし、それでも俺は……静雄はそう思って息を吐いた。
「……トム先輩」
「んー?」
 ゆらゆらと自分の身体を揺らしてくる先輩に、思わず出そうになった言葉をぐっと喉の奥へ押し込む。だが、変な意味じゃないから言っていいんだ、言うん だ、と静雄が決意をかためた瞬間、タイミング悪くもトムの制服の中で携帯が鳴った。
「おっ、もう時間かー。待ってんのかなぁ」
「あ………さっきの……」
「うん。そろそろ行くわ。ありがとな、静雄」
 トムは静雄の体を離すと、ひらひらと手を振った。まだ少し肌寒く、けれどよく晴れた三月。シャツだけになった彼は少し寒そうだ。
 肩をすくめてズボンに手を突っ込み、「またな」と笑う顔に思わず静雄は見とれた。
 背中をぼんやりと視線で追い、手の中に残された制服を握りしめる。伝える事のできなかった言葉は虚しくも空気に融けただけであった。


 街の音がきこえる騒がしい屋上、
 春の空はまだ蒼く、寒さからではなく拳が震えた。


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こういう回想をはさみつつ、初えっちへといく本です。
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